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8月9日、長崎原爆の日

78年前の8月9日、11時2分
長崎の浦上地区に1発の原子爆弾がアメリカの飛行機から落とされました。
約7万人の市民が犠牲となり、
その後何十年にもわたって多くの人が苦しめられました。
原爆症と差別されることもあったと、
母から聞きました

天候不良によって
小倉の予定が
長崎に変更されたこと
生憎の空模様で雲の隙間から投下されてしまったこと
様々な条件が重なった

荻上チキSession、Main Sessionでも昨年同様長崎の原爆投下について特集がくまれた。
チキさんが語る、広島平和記念資料館に訪れたときに感じたこと
一言で言ってしまうとすれば
かけられている予算の違いが判ると。
残っている資料の数も全然違うようだ
画像の保存も然り、残していくには当然お金がかかる
DROPBOXだって有料プランにしないと
一気に容量はパンパン
とてもじゃないけど思い出は残せない
伝えることは大切、そのための資料も同じくらい必要不可欠
内容の厚みがちがってくるのだろう
メディアの放送をみても
広島と比べると印象が薄いと以前思ったことがある
語り継ぐこととは、また別の課題が浮き彫りになっているようだ

長崎の原爆投下地域はキリシタンが多く暮らしていた町で
決して豊かな暮らしができていた地域ではなく
長崎の中心街より北側に位置する
立場上、語りづらかった状況もあったと聞いたことがある
そして何より語れるような人がいないくらい
多くの人が亡くなってしまったのだろう

ローマ法王も訪れたことのある東洋一の天主堂と言われた
浦上天主堂
現在はその一部のみが移築、または再現されているのみだ
原爆投下によって
煉瓦作りの建物はボロボロに崩れ落ち
一瞬にしてみるも無残な姿に変わり果てた
歴史に”たられば”はないけど、
もしも天主堂が遺構として残されていたならば
原爆のすさまじさを感じとることができたかもしれない
信仰心の厚い西洋の人々が何かを感じ取ってくれたかもしれない
誰かのせいという問題ではなく
覚えておかなければいけない
知らない人は知らなければいけない
資料が少ないなら、別の方法で伝え魂に語りかける方法がある

平和記念式典での鈴木史朗市長の長崎平和宣言

「忘却が新しい原爆肯定へと流れていくことを恐れます」

被爆者である谷口稜曄(すみてる)さんが今の時代を予言するかのように
語った内容

この夏は、広島平和記念資料館に行ってみようと思います

今日は鎮魂の祈りを捧げます

Message NAGASAKI
撮影 遠藤ちえ
撮影協力 青梅織物工業協同組合、シネマネコ、キョテン107、タウンマネージャー國廣純子氏
    

 

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