ケニアでホームステイした家族と日本で再会|結婚式に招待された話

昨年のケニア旅行で出会った家族がいる。
モンバサでホームステイをさせてもらった家族だ。
5人の子どもたちは全員日本に住んでいる。
よほど日本が好きなのだろう。
日本で結婚し、またはケニア人と結婚し孫もいて、超ビッグなファミリー。

ケニアで出会ったご縁が、まさか日本でこんな形に繋がるとは思ってもみなかった。
ホームステイで世話になったLATIFAから、

「Hi,Yuko.I am in Japan for three month.love u」

と連絡が届いたのは4月はじめ。4~6月中、日本に滞在するのだと。すぐに岐阜まで会いに行った。
約1年ぶりに再会できることが、しかも日本で会えることが信じられず、新幹線に飛び乗った。

降りた駅で待ってくれていた彼女はまさにLATIFAで、再会の喜びを分かち合った。
岐阜には娘が住んでいて(何番目かは、忘れた)広い庭のある一軒家にすみ、仕事をもち、免許を取得し、車も所有し、しっかりと日本に根付いた暮らしを確立していた。下着1枚もない、何の準備もなく来たのに、ぜひ宿泊してと言われご厚意に甘えちゃっかり泊れせてもらったのだが、そこはまさにケニアだった。孫だの、末っ子の息子だのその彼女(この方は日本人)だの10人以上のケニア人が次々に現れた。「えっ?えっ?」といちいち驚き、だっ、誰っ?!って感じ。
スワヒリ語が頭上を飛び交い、1年前に滞在したケニアが蘇ってくるようだ。そんな彼らのまじめで、やさしい、うるさい(いい意味)日常を眺めるのが大好きだ。
彼らをみていると、ちっぽけなことで悩んでいる自分がバカみたいに思えてくる。
自由奔放とも違うし、個性が強いというのとも違う、とにかく家族を大切にするmama LATIFA一家なのだ。スワヒリ語を理解できればもっと楽しいだろう。

そんな彼らの日常を垣間見るように、こっそりと写し取りましたました。

滞在中、九州に住んでいる子供たちの家にも足を延ばし、岐阜に戻ったと再び連絡が届いたのは先週6月10日。
「I invite you wedding of my last born son」
なな、なぬ!?結婚式のご招待、last boy あぁ前回お会いした日本人の彼女だ
それはいってみたいよ、どんなものかね。すべての予定をどんがらがっしゃんして、(ご了承いただきました皆様、ありがとうございました。)実現した。

15:00ころ岐阜羽島に到着、連絡をしたものの一向に返信がなく電話がきたのが18:00。やることないからとりあえず駅周辺を観光し、あまりにも腹がすきすぎて意識がとおのいていく中ようやくたどり着いたベトナム料理店でご機嫌にビールをのんでいる最中だった。
「Yuko Why you go to restaurant I cook many food my dear 」と。
ベトナム料理をすべて食べ終わらないうちに駅までもどり、何番目かの息子が車で迎えに来てくれ合流。初見のケニア人、それも男性2人。大丈夫かぃな・・と不安を感じつつ車に乗り込む。
話すうち、LATIFAの家族だとわかり安心する。

結婚式は自宅の庭で開かれたガーデンウェディングだった。
中央には家族が飾り付けをした新郎新婦の席が、それを取り囲むようにテーブルがセッティングされていた。家族の喜び、祝いたいという気持ちが手作りの会場にみち溢れていた。
いつものようにたくさんの料理、もちろん手作りで何時から仕込んだのだろうなぁ・・・。
近所の方、わたしのようにケニアでホームステイした人など日本人テーブルもあって、そこにご一緒させていただいた。となりにはLATIFAもいて、孫の赤ん坊サラちゃんを抱きながら嬉しそうな、どこか寂しそうだった。明日が帰国だからだろうか、息子が結婚したからだろうか、複雑な心境が混ざり合っているんだろうな。パーティーも幕を閉じ、私のために準備してくれた部屋で休ませてもらった。この部屋を準備するために、他の家族が集まって寝ているんだろう。ベッドに入ってオードリーのオールナイトニッポンを聞きながら寝た。

翌朝、ケニア帰国の日、庭で娘2人が母LATIFAをねぎらう様にケアしていた。髪の毛を結わえ、爪を整え、マニキュアを塗る。手足のマッサージをしながら「美しさは大事だ」と、言った。
素敵な母と娘だなーとうらやましかった。
みんな別れを惜しんでいるかのようだった・・・
一方Baba(夫)は「そんなことしてる時間はない、急がないと」と孫を抱っこしながら周りをうろついている。
娘の1人が「パパは仕事人間だからねぇ、時間に細かいから仕方ないねぇ」と
笑っていた。山積みとなっていた前日のパーティーの食器類は娘たちがすべて洗い、入れ替わり立ち代わりで慌ただしいわけでもなく頭上をとびかうスワヒリ語を聞きながら朝食をすませた。

いよいよ車が出発する瞬間、男の子(孫)はとてもとても悲しんでいた。
そりゃそーだよ、すぐには会えないもん。たのしい岐阜での時間だったもの。
日本での暮らしも長くバイリンガルの優しい彼は、「あ、はじめまして」と最初の挨拶をかわし、お!日本語きた!と、とても好印象でわたしとLATIFAの間を時々通訳してくれた。
幼子である兄弟の面倒をみて母を助ける優しい男子だった。
素直な彼はおばあちゃんとの別れをとても悲しみ、黒い肌の上を涙がこぼれ落ち顔はぐしゃぐしゃだった、美しい涙だなぁと思った。LATIFAも彼を抱きしめ別れを惜しんでいた。それを微笑ましくみまもる叔父、叔母たち。

最後に「記念撮影しますよー♪」と撮影した家族一同の集合写真は我ながら良く撮れていた。

2回もご招待いただき、すばらしい家族のイベントに参加させていただき、ありがとうございました。

またいつかこの家族に会えることを楽しみにしています。